寄稿 「ノーニュークスを合言葉に」

菅野 真知子 (原告 千葉市在住)

       

  福島第一原発の原子炉が冷却できないというニュースに仰天しましたが、東日本全体が壊滅の危機だったことは知らされず、2号機からもっとも大量の放射性物質が大気中に放出された15日に、私が外出を取りやめたのは交通事情によるものでした。断水した友人は雨の中、給水車に長時間並んでいました。福島第一原発から200キロあまり離れている首都圏も被曝を恐れる日々の始まりでした。

 

  千葉市でも、事故から1週間ほどして、浄水場から放射性ヨウ素が検出されたため乳児に水道水を飲ませないようにと市の防災スピーカーが放送しました。千葉県北西部を中心に、シュンギク、サンチュ、ホウレンソウ、セロリなど県内の農産物の出荷停止が相次ぎました。この頃から、知人の中に孫を連れて関東を脱出する人が出てきました。ルーマニア人の知人は、大使館のチャーター機でアパートもそのままに帰国しました。都内の幼稚園に勤務していた娘は、園から外国人の子どもが一人もいなくなったと言っていました。ヨーロッパに住む友人から避難してこないかと何度も電話をもらい、容易ならざる事態だと実感しました。

 

  5月に入ると千葉県北部では、除染が必要な校庭や公園が多数見つかりました。県内各地の茶葉や牧草、浄水場の汚泥から放射性セシウムが検出されました。6月になっても、県内の空間線量は事故前を上回っていました。ゴミ焼却場の焼却灰からは次々と基準値を超える放射性セシウムが検出されました。柏市では1キロあたり6万8千ベクレルを検出、県は8月26日現在42施設で保管している1キロあたり8000ベクレルを超える焼却灰は約660トンと発表しました。夏休みには、学校、幼稚園などで、表土を削り、洗浄するなど線量を下げる作業が行われました。これらの指定廃棄物(2015年5月現在千葉県内3700トン)はいまだに各市が保管していますが、今年4月24日千葉市中央区埋め立て地を最終処分場にすると環境省から千葉市に通達がありました。

 

  県内各地で放射能測定室が立ち上げられ現在まで活動を続けています。私も庭の植物などを測定しましたが、2013年になっても芝、ハーブから放射性セシウムが検出され、雨水タンクの底の泥水は7762ベクレルという高い数字を示しました。2015年3月でも県内の防災調整池遊歩道に「長時間の滞留はご遠慮ください」の看板があります。

 

  福島から各地へ避難された方たちが全国で賠償を求めて提訴しています。千葉地裁での裁判を毎回傍聴していますが、お金には代えられない多くのものを失ったことに言葉もありません。生活の再建のために勇気を振り絞って法廷に立つ人びとへの国と東京電力の不誠実な対応にも腹立たしさが募るばかりです。JOC事故による賠償は約7000件、150億円です。福島は現在の賠償制度で充分な被害賠償ができるでしょうか。

 

  2014年1月、原子炉メーカーの責任を求めて東京地裁に訴状が提出されました。記者会見の席上で、河合弁護士は「自動車の欠陥による事故で運転者だけが罰せられるのが原賠法」と説明しました。事故直後、GEの元技術者がマーク1型には欠陥があると述べた映像を見た方も多いと思います。メーカーも賠償を担うべきです。

 

  この訴訟で、私たちには「原子力の恐怖から免れて生きる権利」がある、原賠法は憲法に違反すると主張しています。回復不可能な被害をもたらしながら、なお建設、輸出を目論むメーカーの責任は問われなければなりません。「ノー・ニュークス権」が人権であるとの認識が拡がれば、福島の被災者にも資するところ大きいのではないでしょうか。