寄稿『ノー・ニュークス権と大飯原発差止判決』

大飯原発差止訴訟福井弁護団事務局長 笠原一浩

1 ノー・ニュークス権とその法的根拠

 

本訴訟は、その柱として「ノー・ニュークス権」を訴えています。

我々は、憲法13条の幸福追求権及び25条の健康で文化的な最低限度の生活を保障される権利から導かれる新しい人権「原子力の恐怖から免れて生きる権利」=「ノー・ニュークス権」を高らかに宣言する。

これに類するものとして、環境法の教科書によく出てくる権利としては、人格権(人が人として相応しく生きていくために保障される権利。憲法13条、25条を根拠として認められており、人格権に基づく原発差止が認められること自体は、敗訴判決を含め、ほぼすべての原発訴訟判決が認めています)の一環としての、平穏生活権が挙げられます。例えば、大塚教授の「Basic環境法」403pには、「生命身体に対する侵害の危険が、一般通常人を基準として、不快感等の精神的苦痛のみならず、平穏な生活を侵害していると認められるときには、人格権の一種としての平穏生活権の侵害として差止請求権が認められる」とあります。

とりわけ原発の存在が平穏な生活を侵害することは、福島第一原発事故を経た今では、世界中の誰の目にも明らかとなりました。

2 歴史的名判決に至るまでの人々の動き

さて、福井地方裁判所は、去る5月21日、大飯原発3,4号機の運転差し止めを認める歴史的判決を言い渡しました(以下「本判決」)。判決が言い渡された瞬間、弁護団や原告団事務局が、「差し止め認める」「司法は生きていた」という垂れ幕を掲げましたが、特に後者について深い共感を寄せた市民は多かったことでしょう。 この判決は、仮処分決定を別とすると、福島第一原発事故後初めての、原発裁判における司法判断です。福島第一原発事故の被害を踏まえ、行政庁の判断を追認してきた裁判所の姿勢に変化が生じることが、多くの市民から期待されていましたが、この判決は、その期待に十二分に応えるものとなりました。

福井県嶺南地域(県南西部。原子力発電所が立地する敦賀市、美浜町、おおい町、高浜町の四市町に、小浜市、若狭町を加えた六市町を指します。人口約15万人)には全国の四分の一を超える15基の原子力発電所が立地しています。にもかかわらず、自治体財政や雇用など、地域経済における原子力発電所の比重が次第に大きなものとなってきたことから、福井県、とりわけ嶺南地域において原子力発電に対する反対の声を上げることは、少なくとも3.11以前には,容易ならざる行為でした。ただし、小浜市では,明通寺の中嶌哲演住職(第2次提訴の原告となり、その後、原告団代表にもなって頂きました)の活動に見られる粘り強い活動があり、現在に至るまで幾度にもわたって原子力発電所や中間貯蔵施設の建設を阻止してきました。

 

2011年3月11日の東日本大震災及びそれに続く福島第一原発事故を機に、そうした福井県内でも様々な市民が、脱原発に向けて意見表明をする必要があると考えて、県当局への要望活動,原発再稼働に抗議する集会、専門家を招いての勉強会などの活動を行ってきました。先ほど述べた福井地裁への提訴も、こうした動きの重要な一つです。

この福井での提訴は、前日の太陽(原発に象徴される、環境や人権を犠牲にして「繁栄」を目指す古い社会システム)が最も遅くまで輝いていた地でこそ、翌日の太陽(脱原発に象徴される、自然の有限性を踏まえた新しい社会システム)は最も早く昇ることを象徴している、私個人としてはそのようにとらえています。

3 大飯判決とノー・ニュークス権

 

この判決が「ノー・ニュークス権」を認めたものと断じてよいかは、今後、法学者をはじめとして、様々な人々によって検討される必要があるでしょう。しかし少なくとも、この判決が、「ノー・ニュークス権」の確立に資するところは、極めて大きいといえます。

本判決の要旨,全文とも,原告団HP http://adieunpp.com/download&lnk/download.htmlにアップされていますので,まだ読んでいない方は(すでに読んだ方も),ぜひご一読ください。そして、ぜひ、周りの人たちにも広めてください。

特に、判決要旨の最初のページと最後のページをご覧ください。最初のページでは,人格権が憲法上最も高い価値を有すること、最後のページでは、原発事故こそ本当の意味で国の富を失わせることや、ましてやCO2削減を口実に原発を推進することが言語道断であることが、大変美しい日本語で書かれています。

また、福島第一原発事故に関する言及は、私たちが直面している「原子力の恐怖」、私たちが免れなければならない「原子力の恐怖」を、極めて克明に示しています。

訴状(こちらも上記HPに掲載)を作成する際、私は最初(第1)と最後(第8)、それに福島原発事故(第2)の一部を担当しましたので、判決の上記部分とほぼ同じ内容のことを書いたことになりますが、おそらく判決の方がより美しい文章になっていると思います。裁判官の資質もさることながら、訴状を提出してから判決までの間に、福島から避難してこられた、あるいは若狭現地に住む原告の皆さんが口頭弁論で行った意見陳述の際、美しい福島の大地が原発事故により踏みにじられたことや、原発間近に暮らす不安などに、裁判官がじっくり耳を傾けたこと,あるいは,原告以外にさまざまな市民の皆さんの意見を目にしたことも,直接間接に,今回の判決に影響したことでしょう。そういう意味では,原告団の勝利であるのはもとより,皆さん全体の勝利だということができます。改めて,お礼申し上げます。

 

一方,そのような素晴らしい判決だからこそ,原子力ムラからは猛烈なバッシングがなされています。新聞の識者コメント欄を見ると,御用学者の先生方が,『判決は科学を理解していない』と述べています。しかし,少なくとも御用学者の先生方よりは,裁判所の方が,はるかに科学の本質を理解しています。科学的知見とは,決して固定したものではありません。例えば,今でこそ地動説が常識ですが,かつては天動説が常識でした。ましてや,原子力のような複雑な技術であれば,複数の科学的知見が存在するのがむしろ当然です。

 

モンテスキューは,今から200年以上も前に『法の精神』で,『立法,行政,司法が一つの手に握られることがあれば,すべては失われてしまうだろう』と警告しました。もし,行政がよって立つ見解のみが正しく,裁判所はそれに従わなければならないのであれば,憲法が三権分立を定め,司法権に紛争解決機能を与えた趣旨が失われてしまいます。現に福島第一原発事故では,原発訴訟において司法が行政追認の判断を続けた結果,多くの人々が「すべては失われる」苦しみを味わうことになりました。

 

この判決は,そうした科学の本質,そして司法権の本質を踏まえ,従来の原発訴訟においてしばしば見られたような,(行政庁が依拠する)一方の見解が正しくて他は採用するに足りないと断じる愚を犯しませんでした。判決は,どの科学者も(関西電力自身も)認めるような事実を基礎にして,また「右災害(注:原発事故による悲惨な災害)が万が一にも起こらないようにする為(後略)」と述べた最高裁第1小法廷平成4年10月29日判決(伊方最高裁判決)の趣旨を民事訴訟に妥当する限りで踏まえ,ある意味では常識的といえる判断を行ったものです。

 

原子力発電所は,地震などの緊急事態が発生した場合,原子炉の運転を止めた上で,放射性物質を冷却し,かつ外部に漏れないようにしないと,福島第一原発で見られたような放射性物質による深刻な被害を引き起こします。ところが,①関電も,1260ガル(基準地震動の1.8倍)を超える地震動には打つ手がないことを認めているところ,2005年から2011年までのわずか6年の間に,基準地震動を超える地震動が原発を襲ったケースが5例もあり,現在でも関電などが基準地震動を策定する方法は,従来と基本的には変わりません。②しかも,その基準地震動(700ガル)以下の地震動によってすら,外部電源や主給水ポンプといった,冷却にとって最も重要な装置が破損する可能性があります。③また,高レベルの放射性物質である使用済核燃料は,堅固な容器に覆われているわけではありません。

 

判決が認めた①~③の事実は,いずれも,関電も特に争っていないことです。ちなみに①に関連して,基準地震動が基本的に地震動の平均像で作られてきたことや,平均からずれた地震がいくらでもあることは,地震動予測の第一人者であり,原発の耐震設計を主導してきた入倉孝次郎京都大学名誉教授も明確に認めています(2014年3月27日付愛媛新聞)。

 

さらに、本訴訟は,大飯原発が規制基準に適合していない(または規制基準が不合理である)ことを理由に国の設置許可の無効や取り消しを主張する行政訴訟ではなく,原発の運転による人格権侵害を理由に運転差止を求める民事訴訟であることから、新規制基準への適合性や基準の合理性そのものは、争点となりませんでしたが、本判決は①~③等で述べたように大飯原発の危険性を指摘するところ,①新規制基準も,過去の地震の平均像を基準にして基準地震動を策定する従来の手法に対して,何ら改善を求めておらず,また②新規制基準は外部電源等の重要な設備について,十分な耐震安全性を有することを求めていません。③使用済核燃料を保護する容器についても同様です。

 

そうすると,国の規制基準では,到底安全性を確保することができないことになり,本判決の当該指摘は,事実上,国の規制基準の問題点をも指摘するものでもあります。

 

行政府も時に誤ることから,その過ちによって「すべてが失われる」ことのないよう,司法府がその誤りをチェックする。このことは,立法府も時に誤ることから,その過ちによって「すべてが失われる」ことのないよう,過った立法—原賠法—の違憲性をチェックするよう求めている本訴訟にとっても,きっと参考になるでしょう。

 

そして,このような判断がなされた背景に,福島第一原発事故の深刻な被害があったことは疑うべくもありません。判決はこう述べています。「福島原発事故の後において,この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。」

4 おわりに

   

福島第一原発事故にもかかわらず、日本政府は日本同様の地震国・トルコや,日本同様の人口密集国・ベトナム等への原発輸出を進め,原発メーカーは率先してこの動きを進めています。大飯訴訟の福井弁護団事務局長である私は,ぜひこの名判決をトルコやベトナムの人々にも知って頂きたいと思い,判決要旨をトルコ語やベトナム語に翻訳しました。 http://adieunpp.com/download&lnk/download.html  皆さんにも,ぜひ,これ以上の原発事故を防ぐため,お力添えを頂けると幸いです。