寄稿「公判を傍聴して」

原発事故避難者 古川好子

 

  原発メーカー訴訟の公判を傍聴しました。

  被告代理人の堂々たる答弁に依頼人を守り、代理人として仕事をまっとうしようとする頼もしささえ感じました。けれど、そこに「人としての正義」を私は感じられませんでした。

  賠償請求である以上、原賠法に則っておこなわれるべきであり、相手はメーカーではなく東京電力である、という主張に、あきれながらも「まぁ、想定内だよ」と思いました。自賠法や国賠法を持ち出して、所詮、原発事故もその他の交通事故等も法律的には対処の仕方にかわりはない、という主張も「相も変わらず、また交通事故か」と思いながら聞けました。

  けれど、どうしても我慢ならなかったのは「一人100円、たかが40万円ぐらい、東京電力に払えないはずはない、東京電力が払う」という主張です。事故を起こした原子炉のメーカーとして、事故やその後の被害がどれ程のものなのか、事故によってどれ程の人々が苦しみ、傷つけられているのか、そしてどのような救済が行われたのか、いないのか、被害を受けた人々は救われているのか、いないのか、そんなことを微塵も考えてこなかった、そして、今後もそれらに想いを寄せることなど無いだろう被告の姿勢が、あの一言に尽きると感じます。

  一人100円、たかが40万円。つまり被害者は完全賠償される、されているという言い方です。そして、メーカーにまで賠償請求するような損害はないということです。

  実は法廷でこの言葉を聞いたとき、「何を言っている!何も知らずに!一人100円、たかが40その賠償を引き出すために被害者がどれほどの労力を費やし、ときにはあらたに傷つき力尽きてしまうことを知っているか?!」と立ち上がって叫んでしまいそうでした。東京電力が原賠法に則ってという今回の原発事故の損害賠償がいかに酷いものか、加害的に関わっているメーカーが少しもわかっていない。わかろうともしていない。現在実質的に損害の有無を認定しているのは加害者である東京電力です。そのことからも原賠法に則った完全賠償などという言葉が「絵に描いた餅」にもなっていないことは容易に想像がつきそうなものなのに。

  森園さんの陳述にもあったように、今回の原発事故の損害とは誰にでも容易にわかる目に見えるものだけではありません。にもかかわらず目に見える損害さえ加害者によって蔑ろにされている事実を無視しているのがあの代理人であり、あの答弁です。原賠法によって、メーカーに賠償責任はない。であるから被害についても認識する必要さえない。そんなふうにも私には聞こえました。

  次回以降の方針を話すなかで被告代理人は、先ずは法律論だと強調しました。それがクリアされなければ、技術論など論外だと。けれど、これを勘ぐって聞けば、なんとしても原賠法にすがって技術論に持ち込ませたくない、とは聞けないでしょうか?実は製品の欠陥ともいえる事実を承知していて、技術論で争えば不利だと自覚しているとは聞こえないでしょうか?

  この裁判は決して甘いものではなく、曖昧だとまで言われてしまったノーニュークス権が人権として認められることは簡単なことではないでしょう。それでも、光が無いわけではないと私は思っています。

  そのためにも、被告代理人のあのふてぶてしいほどの頼もしさを我が弁護団にも期待したいと思っています。