訴状

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訴状全文

訴状全文 東京地裁に提訴(1/30/2014)

訴状概要

証拠説明書

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訴状の法的構成

責任集中制度

原発が事故を起こした場合の責任主体としは、国、原発メーカー、そして電力会社が考えられる。これは、連帯債務であり、被害者はこの三者のいずれにも損害賠償請求ができる。

ところが、原発事故に関しては、原子力損害賠償法(原賠法)という法律があって、そこには、電力会社が過失の有無にかかわらず責任を負うこと(3条1項)及び電力会社以外の免責(4条1項)、PL法の排除(同項3項)が規定されている。これらは、1条に掲げられる「原子力事業の健全な発達」という目的を具体化した条文であり、実は世界中に広く行き渡っている「責任集中制度」という仕組みである。そして、これこそが、世界の原発体制を強固に保護する仕組みなのである。

なぜなら、被害者は電力会社に対してのみ損害賠償請求をすることができるが、その賠償額が電力会社の保険契約等による損害賠償措置額1200億円を超える場合、国が援助をすることとされている(16条1項)。しかし、電力会社及び国から支払われる賠償金は、言うまでもなく国民が負担する電気料金及び税金がその原資である。つまり、国民による負担が、電力会社や政府を通して、被害者に支払われるだけであり、原発メーカーは、ここにはまったく関与することなく。安心して自らの経済活動に専念することができるのである。

まさに「原子力事業の健全な発達」という目的達成のための見事な仕組みというほかない。我々が電力会社のみを責任追及の対象とすることは、まさに原発体制が予定するところであり、その枠組みの中でいくら大騒ぎしたところで、彼等は何らの痛痒も感じないのである。

しかし、現実の被害の規模や深刻さ、これから100年以上続くであろう問題解決への道のり、そして、これらに対する賠償の状況、東京電力や国の不誠実な対応等についていちいち言及するまでもなく、原発メーカーが非難の対象とされることさえなく、海外への輸出による利益拡大を図ろうとしている現状に、一切の正義が存在しないことは明らかであろう。この極めて不合理な状況を生み出している原因が責任集中制度にある以上、これに挑むべく原発メーカー訴訟を提起することは、社会の要請である。

原発メーカー訴訟の法理論

本訴訟においては、責任集中制度が違憲であることを前提に、PL法及び民法709条に基づく損害賠償請求をする。 原告は世界中の人々であり、請求額は精神的慰謝料1人100円という一部請求。争点はあくまでも原発メーカーの責任の有無である。

責任集中制度によって侵害される人権は、まず、不法行為によって損害が発生しているのに賠償請求をできないことから、憲法29条1項が保障する財産権である。次に、あらゆる製造者は、製造物の欠陥から生じる事故による損害を賠償する責任を負うにも関わらず、最も危険な製造物である原発についてのみ免責されるのは不合理な差別であるといえることから、14条の平等原則違反がある。さらに、訴訟を提起しても免責規定を理由に、製造物の欠陥ないし製造者の過失についての実質的審理がなされないとすれば、32条の裁判を受ける権利が侵害されているといえる。

しかし、これらの人権侵害のみを主張しても、問題の本質は表現されない。そこで我々は、13条の幸福追求権及び25条の健康で文化的な最低限度の生活を保障される権利から導かれる「原子力の恐怖から免れて生きる権利」=「ノー・ニュークス権」の侵害を主張することとした。いかなる場合でも製造者としての責任を免れるとすれば、原発メーカーは安全性よりも経済性を優先するインセンティブを与えられていることになる。何より、被害者の保護よりも原子力事業の発達に重きを置く責任集中制度は、ノー・ニュークス権を侵害しているといえる。

さらに、違憲主張とは別に、原賠法5条に基づく請求も考えられる。同条は、電力会社は故意の第三者に対して求償できるという規定であり、民法423条によって、この求償権を代位して請求するのである。この請求は、まさに原賠法に基づく請求であるため、直接的に原発メーカーの故意について審理を求めることになる。この場合の故意とは、敢えて事故を起こしたということではなく、事故が起こる可能性を認識しながら、それを認容する心理状態をいう。1970年代から欠陥が指摘されていたマークⅠ型の格納容器を製造したメーカーが、事故の発生を認識していなかったと言えるであろうか。

以上が、本訴訟における大まかな法理論である。

裁判所に対し、良心に従った公正な審理を求める強いメッセージを伝えるために、是非多くの方々の支援と協力をお願いしたい。