ノー・ニュークス権宣言
-Declaration of No Nukes Rights-

  我々は、憲法13条の幸福追求権及び25条の健康で文化的な最低限度の生活を保障される権利から導かれる新しい人権「原子力の恐怖から免れて生きる権利」=「ノー・ニュークス権」を高らかに宣言する。

 

  原子力は人間を含むあらゆる生物の生命や生きる環境までも回復困難なまでに破壊し、世代を超えて影響を及ぼす、他に類を見ないほど危険性の高いものです。このような原子力の恐怖におびえながら生きることが強いられてよいはずはありません。

  日本国憲法は平和的生存権(前文)、幸福追求権(13条)、社会的生存権(25条)等を保障していることから、個人には憲法上、「原子力の恐怖から免れて生きる権利」という人権が保障されていると考えました。そして私たちは、この人権を「ノー・ニュークス権」と呼ぶことにしました。前述の責任集中制度は、原子力政策の推進体制を後押しする根拠となっており、ノー・ニュークス権=原子力の恐怖から免れて生きる権利を侵害しているのです。

 

原子力の恐怖から免れて生きる権利(ノー・ニュークス権)とは

               

1 ノー・ニュークス権確立の意義

  本訴訟は、福島第一原発事故(以下「本件原発事故」といいます)に対する原発メーカーの責任を明確にすることを目的として提起されました。
  その目的を達成するためには、「原子力損害の賠償に関する法律」に定める責任集中制度の違憲性を主張する必要があります。その根拠として、原発メーカーへの損害賠償請求ができないことから、第一に財産権侵害(憲法29条)や平等権侵害(憲法14条)が考えられました。しかし、本件原発事故という未曽有の事態を経験し福島の被害を目の当たりにして、大多数の国民が「もう原子力はいやだ」と感じていた現状からすると、責任集中制度がもたらす一番の問題点は、金銭の問題以上に、原子力に対する恐怖・不安が社会的に生み出されていることでした。
  そこで、本訴訟のもう1つの目的に、新しい人権として「原子力の恐怖から免れて生きる権利」すなわち「ノー・ニュークス権」の確立を目指すことを決めました。

2 新しい人権とは

  日本国憲法は、その第14条以下に、詳細な人権規定を置いていますが、明文で規定する人権のみを保障する趣旨ではありません。
  つまり、第14条以下の人権規定は、歴史的に国家権力によって侵害されることの多かった重要な権利・自由を列挙しているもので、すべての人権を網羅的に掲げたものではありません。
  そこで、「社会の変革にともない、『自律的な個人が人格的に生存するために不可欠と考えられる基本的な権利・自由』として保護するに値すると考えられる法的利益は、『新しい人権』として、憲法上保障される人権の1つだと解するのが妥当である」とされています(芦部信喜『憲法』〔第6版〕119頁(岩波書店))。たとえば、肖像権(プライバシー権)もその新しい人権の1つです(最大判昭和44年12月24日)。
  ノー・ニュークス権も憲法上に規定はされていませんが、下記の根拠からすれば、本件原発事故を契機に人権であることが顕在化したといえます。

3 ノー・ニュークス権の根拠

  ある特定の行為が人権と位置づけられるかどうかは、その行為が個人にとって生きていく上で不可欠であることを前提に、その行為を社会が伝統的に個人の自律的決定にゆだねられたものと考えているかなど、種々の要素を考慮して慎重に判断されます。
  ノー・ニュークス権は、原子力の特徴から導かれます。すなわち、①原子力は人間がコントロールできない、②原子力による被害は他の何ものとも比較できないほどの規模に及び、さらにひとたび事故が起これば事故前の状態に修復することは不可能という特異性を有しています。
  ③本件原発事故は、このような原子力の特性を衝撃的に示し、ノー・ニュークス権を顕在化させた社会的事象となりました。
  原子力は人の生活・健康を害するのみならず、生命すら奪う存在です。その原子力をコントロールできないことが経験上も技術上も明らかとなりました。このような原子力と隣り合わせで生活する不安は単なる不安感ではなく、人格に対する具体的な危険を避けようとする合理的なものであるといえるのです。原子力の危険が存在する不安や恐怖なく生活できることを保護するのが、ノー・ニュークス権です。

  1. 原子力のコントロール不能性
      国内だけでも、原発が稼働してから2014年末までに1246件もの原発関連事故が報告されています。しかし、原発事故が起これば、事故現場への立ち入りさえ不可能になるため、事故の原因究明が正確かつ十分にできたとはいえません。
      また、放出された放射性物質の影響は何十年、何百年から数万年という長期間に及び、放射能拡散を止めたり、汚染された地域を浄化したりすることはさらに困難を極めます。
      このように、原発事故を未然に防ぐことは経験上、技術上困難であり、万が一原発事故が起きてしまった場合には事故を収束させることも困難です。この2つの意味で、原子力は完全にはコントロールできるものではないことが明らかになったといえます。
  2. 原子力被害による特異性
      第五福竜丸やJCO臨海事故をみると、大量の放射線被曝はいかなる医療によっても回復困難な急性障害を生じさせ、低線量の被曝であったとしても晩発性の障害を生じさせます。遺伝子そのものが傷つけられるため、次世代にまで影響が及びます。また、本件原発事故では、甲状腺がんが多発して、今後の拡大が心配されています。
      原子力は、健康被害のみならず、人々の居住していた土地も奪い、コミュニティを破壊し、故郷までも奪います。
      原子力は、甚大かつ回復不可能な被害をもたらし、他の事故では決して見られない特異性を有する被害を生じさせるのです。
  3.  本件原発事故の現実
      ここで詳細に論じることはできませんが、本件原発事故による放射能汚染の実態、内部被曝等による健康被害、避難者・被害者の数やその一人ひとりの負った身体的・精神的苦痛、避難生活の苦労、故郷の喪失など、事故の被害は多岐に及び、その規模も深刻さも筆舌に尽くし難いものとなりました。いまだに被害は拡大し続け、原子炉本体には手がつけられず汚染水流出も続き、収束の目処も立っていません。
      このような本件原発事故の被害の実態は、人々に原発事故は二度と起こしてはならないものと確信させ、ノー・ニュークス権を顕在化させるものとなりました。

4 大飯原発運転差止判決とノー・ニュークス権

  平成26年5月21日、福井地裁は、大飯原発3、4号機の運転差止めを命じる判決を下しました。この判決は、司法が原発に関してどのような判断を示すべきか、その模範を世界中に示しました。詳細は判決全文を読んでいただきたいですが、判決中、ノー・ニュークス権を基礎づける判断が、たとえば下記のように示されています。

  1. 原発によって侵害される人格権
      福井地裁は、人格権が憲法上最も高い価値を有すること、とりわけその核心部分である生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分は最大限に保護されなければならず、原発事故はこれを侵害しうると述べています。
      具体的には、「個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない」としています。
      そして、関西電力からの、原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながるとの反論に対しても、「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されない…」としています。
      また、「生命を守り生活を維持する利益は人格権の中でも根幹部分をなす根源的な権利ということができる。…大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い」としています。
      福井地裁は、生命権、生活権が人権の中でも最も重要な権利であると述べています。そして、この生命権、生活権の侵害への不安なく生活できることを保護するのが、ノー・ニュークス権です。
  2. 福島第一原発事故の深刻な被害と原子力の恐怖
      福井地裁が原発の運転差止めを認めた根拠の1つに、福島第一原発事故の深刻な被害があります。また同判決は、以下のように、私たちが直面している「原子力の恐怖」を極めて克明に示しました。
      すなわち、「福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数を遥かに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。さらに、原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も同様の規模に及んでいる。
      年間何ミリシーベルト以上の放射線がどの程度の健康被害を及ぼすかについてはさまざまな見解があり、どの見解に立つかによってあるべき避難区域の広さも変わってくることになるが、既に20年以上にわたりこの問題に直面し続けてきたウクライナ共和国、ベラルーシ共和国は、今なお広範囲にわたって避難区域を定めている。両共和国の政府とも住民の早期の帰還を図ろうと考え、住民においても帰還の強い願いを持つことにおいて我が国となんら変わりはないはずである。それにもかかわらず、両共和国が上記の対応をとらざるを得ないという事実は、放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に重大な疑問を投げかけるものである。上記250キロメートルという数字は緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといってこの数字が直ちに過大であると判断することはできないというべきである。」。

5 ノー・ニュークス権の法的性質

  ノー・ニュークス権によって、法的にさまざまな可能性が期待できます。
  たとえば、原発事故の発生以前であっても、個人が被害を受ける危険が一定程度認められる場合には、原子炉の運転等の加害行為の差止めができます。
  原発事故が起きてしまった場合には、事故の原因者に対して完全な被害賠償を求める権利はもちろん、事故の原因者や国に対し、事故を迅速に収束させるよう求める権利、原因者・事故原因の究明を求める権利、新たな規制等による安全保障を求める権利が認められることも考えられます。

6 さいごに

  裁判所に新しい人権を認めてもらうことは容易なことではありません。しかし、日本において原爆と本件原発事故により二度も原子力の恐怖を経験してしまった今、拭い去ることのできない原子力に対する恐怖心・不安に対して、手当てをすべき必要性は否定できないところとなっています。本件訴訟でノー・ニュークス権について十分な議論を重ね、その確立をめざしていきたいと思います。

 

弁護士 片口浩子